
【インタビュー】曽我部洋平 Vol.03
フリーランスのフォトグラファーとして主に広告、雑誌の写真撮影を手がけ、松山の業界関係者の中では知らない人はいないとまで言われる曽我部氏。今をときめく売れっ子カメラマンに、自身の仕事感や写真に対する想い、修行時代や若手の育成について迫った。
インタビュー前編はこちらです。
撮影デモンストレーションはこちらです。
「写真といえば曽我部さん」と言われるように頑張りたい
受託ではなく、自らの作品として写真を撮ることはありますか?
あります。いずれはそういう作品集的なものを出したいと思っています。
それは楽しみです。今後の目標は?
業界にたくさん諸先輩方がいるんですけど、その方々に負けないように、かつ自分の色を出せるようにしながら、このあたりでは「写真といえば曽我部さん」と言われるように頑張りたいです。
曽我部さんの強みといえばどこになりますか?
んー、「コミュニケーション」かな?割りと初対面の人とかでもスッと入っていけたりするので。最初は不審がられてても、会話を続けていくうちにだんだんと打ち解けていって、いい写真が撮れるようになったりとかするんですよ。
その能力は鍛えたというよりは元々備わってた感があります。ちっちゃい頃に親の仕事によく付いて行ったりとかしてて、その頃から人見知りとか全くしなかったので。
現場の空気に合わせて立ち回るのも、カメラマンに必要な能力ですからね。撮影に集中しつつも、顔はニコニコさせてたりとか。こわばってると被写体の方にも伝染してしまいますからね。その辺の現場経験は積んできました。
現場では想定外のことが普通に起こりますから、臨機応変に対応してなんとかするのが重要です。
今はスマートフォンやコンデジが出てきたり、素人の人でも簡単に写真を撮れるようになっていますよね。クライアントも自分で撮る機会が増えてますし。そんな中で曽我部さんに依頼する意味って、どんなところなんでしょう?
一つは「経験」です。
センスや、知識も大事なのですが、やはり現場の対応力や機転の効かせ方は経験を積んでいないと分からない事だと思いますし、引き出しの多さもお客様に安心感を持たせるのもプロとしての違いかなと思います。
もう一つは「お客様のオーダーに答えられる事」。
撮りたいものを撮っていくスタンスのカメラマンもいるとは思うのですが、やはり広告フォトグラファーとしてはいかにオーダーに答えられるのかも一つのプロとしての技量だと思います。
最後に「覚悟」も有るかと思います。
いくらスキルがあって経験豊富でも途中で仕事を投げ出したり、なんとなく撮る人はプロとはいえないですし、スキルや経験がなくても最後まで考えて被写体を撮影する人はプロだと思います。
右手にカメラ、左手にビールで飲み会中もずっと撮ってた
どうやって腕を磨いてこられたんですか?
若いころはとりあえず撮りまくってました。夜の街にカメラ持って出掛けて、路上ライブとかやってる人を撮ったりとか、ビール買って撮ったりとか。まあ自分も酔っ払いながらやってるんで、仕上がりはひどいもんでしたけど。(笑)ずーっとカメラを掴んだ状態でウロウロしますから、「カメラだこ」みたいなのが思いっきりできてました。右手にカメラ、左手にビールみたいな状態で何時間もやってたんで。
マジですか!?
マジですマジです。楽しく飲みながらいいアングルが浮かんだらカメラ構えてパッと撮るみたいな。
はじめのうちは撮りまくることが大事なんですね。
では、今後はどうやって技術を上げていこうと考えてますか?
映画とか雑誌とか見ながら思うのは、今後は作りこんだ写真にチャレンジしたいなと思います。ちゃんと打ち合わせして、準備に準備を重ねて完成されたビジュアルを作ってみたいですね。フォトディレクションって言うんですかね。
やれる自信はあるんですけど、今後はそういう案件を作って行こうと動いています。本当にゼロからビジュアルを作り上げるような仕事に関われるよう今から動いています。
いつまでもフットワーク軽く!
過去にそういった案件はなかったんですか?
ありました。「愛媛美少女図鑑」っていうので、美容師さんとコラボしてそういうのやらせてもらいました。
あ、知ってます。「愛媛美少女図鑑」って曽我部さんも撮ってたんですね。
では、「商売」としては、今後どうやっていくおつもりですか?
フットワーク軽くやっていきたいですね。こないだとあるデザイナーさんに「フットワークはネットワークだ」と言われて、確かにそうだなと。足を使って現場に行くっていうのを大事にしていくつもりです。四国に限らず、九州の方に行ったり東京行ったり北海道行ったり、その中でいろんな人との出会いを大切にしながら、いろんな知識を自分の中に吸収して、対応できる範囲を広げていきたいです。
人を雇う予定はありますか?
あります。最終的には組織にしていきたいので、スタジオも建てて人を雇って、仕事は中の人間に任せて、自分はフットワーク軽くいろんなところを飛び回るっていうのが理想です。
そうなると、雇った人を育てる必要がありますよね。そのあたりはどう考えていますか?
うん、それもあって母校(河原学園)に顔を出して、若い子と触れ合う機会を作っているんですよ。アシスタントとして大学生を臨時で雇ったりしながら「どんなこと考えてるんだろう?」っていうのをコミュニケーションを取りながら探っているような状況です。
実際に「いつ」人を雇うのかっていうのは、今年度の状況を見て判断するつもりなんです。
なるほど。
で、実際に若者と触れ合ってみてどうでしょう?
割りと最近の若者はやる気ないとか言われてますけど、僕が直接見てる子たちはそうでもないのかなと思います。野心みたいなものも感じますし。 やる気がある子はいるので、そういう子は付いてきてくれるだろうなという期待はしています。
アシスタントとして曽我部さんに付いていると得られるものは大きいですか?
そうですね、仕事の量で言うと若手の中では一番という自信はあるので、たぶんどこよりも知識と経験が付くんじゃないかなとは思います。
あともう1個考えているのは、最近僕の周りでカメラマンとして独立していく人が増えているので、そういう人たちとのネットワークを作って、仕事を振り分けることができればいいかなと思っています。まあでも、個性の強い人が多いのでなかなか難しいんですけどね。金額面とかもカメラマンによって違いますから、そのあたりの調整は難しさを感じる部分です。
組織立ててトップダウンでやれると楽なんですけどね。
そうですね。僕の一番の理想としては、「優秀な二番手」となるような人が欲しい。(笑)で、自分は相変わらずフワフワしていたい。(笑)その二番手に任せておけばきっちり仕事をこなすっていうのが一番ありがたいですね。最後のところのケツは俺が持つけど基本的には任せるみたいな。
現場を離れたくないという考えですか?
そうですね。撮影はずーっとやっていたいです。60歳ぐらいになったら、現場行ってセッティングのチェックだけしてあとは若手にやらせるみたいなんでもいいですし。
その人達が引退してから仕事を譲り受けるのではなく、その人達が業界にいるうちに実力で取らないと。
そういう未来を描いてたんですね。では、今の時点でライバルとなるような人はいますか?
前の会社の社長とか、上の世代の人達をライバルと捉えています。同世代の人たちはどちらかというと「協力関係」でありたいなと思っています。いずれは同世代の方とも競争しないといけないかもしれないですが、当面は上の世代ですよね。仕事いっぱい持ってるんで。そこを崩していきたいというか。
その人達が引退してから仕事を譲り受けるのではなく、その人達が業界にいるうちに実力で取らないと。戦って勝ちたいですね。それが恩返しにもなるかなと思いますし。そう思っていただけるとありがたいです。まあ、まだまだケチョンケチョンにされちゃいますけどねー!(笑)
優しそうに見えて、かなり好戦的なんですね。意外です。(笑)
では、将来カメラマンを目指す若者になにか一言
そうですねー・・・、思ってるほど楽じゃないよ・・・と。(笑)気軽にこの世界に入るんじゃなくて、一回自分の中でちゃんと考えてからのほうがいいよってことですかね。じゃないとすぐ辞めちゃったりとするんで。
それと、冒険心がもうちょっとあってもいいなじゃないかということですかね。
矛盾してませんか・・・?
そうなんですよ(笑)なんか上手く言えなくてすみません。(笑)
「自由にやっていいんだ」という発想が芽生えた
いえ、ニュアンスは痛いほどわかります。(笑)なにか、言いたいことはありますか?
そうですね・・・。
どうやら「美少女図鑑」の仕事が僕のターニングポイントになっているようで。それまで社長に厳しく言われながらやってたんですけど、美少女図鑑の仕事をした時に「自由にやっていいんだ」という発想が芽生えたんです。僕の中ではあの経験がかなり大きくて。あれがなかったら独立はしてなかったと思いますし、カメラマン辞めてたんじゃないかと思うくらいです。あの仕事がきっかけで社長にも少しずつ認められてきましたしね。
今仕事で悩んでる人でも、頑張ってるうちにそういうきっかけと出会うことがあると思います。
素晴らしいお言葉ありがとうございます。
また色々とお力を貸してください。
いえいえこちらこそ、よろしくお願いします。
フリーランスのフォトグラファーとして主に広告、雑誌の写真撮影を手がけ、松山の業界関係者の中では知らない人はいないとまで言われる曽我部氏。今をときめく売れっ子カメラマンに、自身の仕事感や写真に対する想い、修行時代や若手の育成について迫った。 Sponsored Link 前編はこちらです。 曽我部氏にコンビニスイーツを本気撮影してもらいました! 曽我部さん、今日はデモンストレーションとしてコンビニのスイーツの撮影をやっていただきたいと思います。かまいませんか? わかりました。機材も全部持って来てるので大丈夫ですよ! 今日撮っていただきたいのはこちらです。これを美味しそうに撮っていただけますか? […]
幼少期から26歳までを宮城で過ごし、2013年から松山に移り住み、現在は実の母が経営する飲食店「道後椿倶楽部」にて料理・接客の腕を磨く鷲尾氏。激変する生活環境の中でも常に輝きを放ち続ける、一風変わった女性像の「横顔」に触れる。 Sponsored Link インタビュー前編はこちらです。 居心地の良い空間にしていたい 道後椿倶楽部は道後にありますよね。 やっぱり道後ですから、観光客の方が多いですか? いえ、道後椿倶楽部は地元のお客様がほとんどです。県外の方が来るとしても、地元のお客様が連れて来られる感じです。接待とか。 あえて入りにくくしてるからかな?「隠れ家」みたいな。 もちろん、お店の戦略 […]
18歳で上京、若手時代を東京で過ごし、音楽関係の仕事をしながらDJとして名を馳せる。地元新居浜市に帰ってきてからは「串揚げ&グッドミュージック トライアングル」を経営。そのかたわらで各地域のクラブイベントにゲストDJとして参加する。 そして2015年4月、かねてから自身の憧れの舞台であったラジオパーソナリティとして、日曜お昼の新番組「GROOVIN’ SUNDAY」がスタート。まるで呼吸をするかのごとく、平然と新境地を開拓していくこの男が、今回のゲスト。 Sponsored Link ※このインタビューは4月10日に収録されたものです。 ラジオ番組にリクエスト→すぐさまオンエア→「 […]