【インタビュー】曽我部洋平 Vol.01

フリーランスのフォトグラファーとして主に広告、雑誌の写真撮影を手がけ、松山の業界関係者の中では知らない人はいないとまで言われる曽我部氏。今をときめく売れっ子カメラマンに、自身の仕事感や写真に対する想い、修行時代や若手の育成について迫った。

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モテるかなーと思ってはじめたのがきっかけなんですよ。

最初の質問です。
このインタビューを受けようと思ったのはなぜですか?頼んでおいてアレですけど・・・

んー、なにか言いたいことがあるとか、カメラマンとしての宣伝とかは全く意識してなくて。単純に面白そうだなーと思ったからですね。まあ、なにかしら動いていかないと、変化もありませんし。

お引き受け頂き、ありがとうございます。
昨日は何をしてましたか?

昨日はある広告写真で使うモデルさん探しをしてました。働く人を募集するような内容のポスターなんですけど、実際に働こうとしている素人の学生さんに声かけて協力者を募ってました。先方さんもそういったモデルをやってくれるような知り合いがいないらしいので、母校(河原学園)に声かけしていました。まあ僕としてもテスト的な意味合いは強いんですけど。4人くらいモデル候補が見つかりましたよ。
学生さんなんで表情を引き出すのに苦労するかもーとは思ってますが。
あとは、写真の処理とかを細々作業してましたね昨日は。

写真の補正作業って時間かかるんですか?

ライティングばっちりでやるような商品撮りのものはそんなに時間かからないんですよ。もうその場で決め込むので。ただ、スナップ(手持ち)とかだと自分が描くイメージに近づけようとするから時間かかっちゃいますね。
スナップの場合現場の瞬間的な判断で撮ってしまうので、明るさとかは補正でカバーしないといけない部分があります。

なるほどですね。
曽我部さんがカメラマンになろうと思ったきっかけってなんですか?

モテるかなーと思ってはじめたのがきっかけなんですよ。「カメラマン」って横文字でなんかカッコイイ感じでしょ?19歳くらいのときだから、2001年くらい・・・かな。業界的に言うと、フィルムからデジタルに移行しようとするくらいの時期です。だから最初は僕もフィルムで撮ってました。
当時は「加納典明」さんとか「アラーキー」とか、「篠山紀信」さんとか、女性の裸を撮ってるイメージが強かった。だからイコール「モテるのかな」って。(笑)
僕自身、絵が描けないので、「写真だったら撮れるかな・・・」っていう今では考えられないくらいおこがましい心持ちで入って、写真を撮り始めたって感じです。

意外な理由ですね。実際モテましたか?

モテないですねー。(笑)友人の紹介で女性に会っても「カメラマンやってます」って言うと最初は珍しがられるんですけど、実際女の子って現実を見るじゃないですか。「食えてるのか?」っていう目で見られてた。(笑)
やっぱアシスタントの最初の方はお金の面ではそんな良くないですからねー、独立またはカメラマンの右腕にならないと。アシスタント時代は、給料はそこまで多くないですから。

そうですか。ということは最初から独立は考えていた?

いや、最初は全く。入ったころは3〜4年したら他の職業に就くんじゃないかなーって思ってたくらいですから。
元々高卒で社会に出るつもりだったんですけど、親のススメで結局専門学校に行くことにしたんですよ。映画とか映像系が好きだったので、じゃあ河原学園にってことで。
でも、写真の世界に入ってみて、やっててすごい楽しくて、気がつけばズルズルって感じで続いたんです。

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このままズルズル行くくらいなら思い切って独立したほうがいいだろうと思ったんです。

では、実際に独立を決意したのはいつ頃ですか?

28歳くらいの時ですね。
ちょっと暗い話になりますが、祖母が亡くなった時に、親戚一同が集まるじゃないですか。そのときに僕に対して「この先どうするんだ?」みたいなことを聞かれて。 父親が事業をやってますから、それを継ぐという可能性もあったんですけど、母に「この仕事よりもあんたはカメラマンの方が向いてると思う。自分の思う道を行けば良いんじゃない?」って言われたんです。 その当時は既にカメラマンの仕事にのめり込んでいましたから、このままズルズル行くくらいなら思い切って独立したほうがいいだろうと思ったんです。

そこから独立を果たすまで、どんな準備をしてこられたんですか?

30歳になる年に独立したんですけど、そうは言っても普段の仕事もあって特になにもやってなかった・・・。あ、しいて言えばもう一度周りの人間関係を見つめてみようと思いました。少し社長に対して素直じゃない時期があったので。。
というのも、入って6〜7年したころ、カメラマンとしてちょくちょく現場に出させてもらって、やっていくにつれてレベルの高い写真を社長から要求されるようになって、なかなかそれに到達できなくてすごい落ち込んでいったんです。その状態で仕事の指摘とかされても、言ってることはわかるんですけど素直になれなくて。。それが態度に表れていたのか、次第に距離を取るようになりました。

辞めて独立するのにわざわざ関係修復をしようと思ったのはなぜですか?

やはりこのままの関係では自分の中でスッキリしない部分も大きかったですし、育てていただいた恩義もありますし、ちゃんと会社のために自分ができる事(仕事の引き継ぎ等)をしっかりやり終えてから出て行きたかったです。。。
機材もレンタルしたかったのもありますが(笑)。

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修行時代は10円ハゲ3つくらいできてましたから。

修行時代はやっぱり体力的にキツかった?

いや、体力的には全然平気でしたけど、どちらかというと精神的にキツかったですねー。写真に求められるレベルが日に日に高くなって行って自分でもいっぱいいっぱいになっていきました。
特に、写真に対する心構えがなってないときには厳しかったです。
一時的にモチベーションが低下したりすることもある。でもそれを悟られないようにしてたつもりだったんですけど、やっぱわかっちゃうみたいで。「なんだこの写真は!」ってドーンってされたり。(笑)
そういうのは作品にも表れてたんだと思います。
仕事や会社に対してモヤモヤはあるんだけど、それを発言できるほど実力を認められてなくて、一言なんか言っても一発で論破されちゃうみたいなことが続いて、モチベーションが下がっていってしまうんですよね。
もうひどいときは、「うまい具合に交通事故に巻き込まれて足とか骨折せんかなー」とか考えてました。休みたくて。(笑)10円ハゲ3つくらいできてましたから。

壮絶ですね。そういう苦労を乗り越えてこられた今、若い世代に伝えたいことってありませんか?

そうですね、若い人たちに伝えたいのは、安定志向が全てではないよってことを言いたいですね。クリエイティブ系の専門学生とかはせっかくそういう勉強をしてるんだから安定に向けて人生を考えるのはまだ早いんじゃないかなあと思います。
冒険したって死ぬわけじゃないですから、不器用で怒られてばっかりでも生き延びている人間がここにこうしているわけですから、もうちょっとチャレンジしてもいいんじゃないかなーってことですね。僕もまだまだ冒険し足りないですから。

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撮っていくうちに、「建物」も好きになりましたし「料理」も好きになりました。

独立してしまうと自分の仕事の質を自分で評価しなければいけなくなりますよね?
自分が撮った写真が良いか悪いかの判断ってどうしてるんですか?

確かにそうですね。僕の場合は撮ったあとに「これで本当にいいのか?」と自問自答するようにしています。その癖がつきましたね。OKって言えば済むんですけど、一旦立ち止まって、「これで満足しちゃっていいのか?」っていうのは考えるようになりました。

クライアントが望むOKラインに届いていれば仕事としては成り立っているとも考えられますが、そうまでして曽我部さんの中でクオリティを上げようと思うのはなぜですか?

まず、前の会社で経験してきたレベルが自分の中で基準になってしまっているというのはあります。料金の部分でもその基準を引きずっていることがあって、パッと見積を出したら「お、高いですね」って言われることは多いんですよ。まあ、そこの対応は考え中なんですけど。
高くても頼んでいただけるというのはありがたいですし、それだったらその見積以上の何かをやってあげたいという思いがあります。機材を追加したり、アシスタントを用意したりとか。

なるほど。ところであの機材ってどれくらいお金かかってるんですか?

まあピンきりですけど、僕はよくセールで買ったりしてます。機材のセールってのがあるんです。それらを活用して賢く購入していったとしても、100万は超えますね。
ま、いろんな方に協力していただいて。(笑)妻とか。。

これまでいろんな経験をしてこられたと思いますが、曽我部さんの専門をあげるとしたら何になりますか?

んーよく聞かれるんですけど、しいて言うなら「広告」ですかねー。元々「人」を撮るのが好きでカメラをはじめたんですけど、撮っていくうちに、「建物」も好きになりましたし「料理」も好きになりました。まあなんでも撮りますが、最近は「人物」が多いかなーという感じです。

確かに、曽我部さんの人物撮影の現場にご一緒させていただいたことが何度かありますが、なんかもうスゴイですよね。

アハハ、ありがとうございます。

曽我部さん、今日はデモンストレーションとしてコンビニのスイーツの撮影をやっていただきたいと思います。かまいませんか?

わかりました。機材も全部持って来てるので大丈夫ですよ!

後編に続く

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