【インタビュー】熊野憲之 Vol.02

32歳で父親が経営する養鶏場を引き継ぎ、熊野養鶏二代目社長として養鶏家の新しいポジションを確立。決してレールに敷かれた人生を歩むことなく、枠にとらわれない発想で挑戦を繰り返し、持ち前の突破力を活かしながら突き進んでいく経営者の現在に迫り、ルーツを探る。

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インタビュー前編はこちらです。

「農家じゃ嫁ももらえない」と思っていました。

会社を継ぐことを意識されたのはいつぐらいからですか?

23歳くらいの時ですね。社会人になってからです。
高校出て受験に失敗して高松の予備校に行って、高松の魅力に負けてちっとも勉強せずに遊んでました。(笑)予備校の出席カードをシュッと通して、そのままパチンコ行ったり。(笑)そんなことでしたから、大学も受かるわけないし。成績がガーンと落ちましたよ。そのあと高松の一般企業に就職して、工作機械の販売をやってました。営業マンですね。鉄工所の社長さん相手にね。

中学生とか高校生の頃に何か夢ってありました?

ないですね。ちゃんと勉強して良い大学入って、いいところに就職するみたいなことを考えてたかな〜。家が農家でしたけど、農家に対するイメージは決してよくなかった。個人的には恥ずかしい職業だと思ってたくらいですから。
今どき農家に嫁に来る人なんかいないから、ちゃんとしたところに就職しないと嫁ももらえんぞと勝手に思い込んでました。
ただね、お袋からは昔から、「あんたがどうなろうが最終的には絶対面倒見てもらう」ってこんこんと言われてたんですよ。長男ですから。だから「俺が両親の面倒を見なきゃいけないんだな」っていう意識ははっきりとありましたね。

鉄工所の社長さんを見て、自分を振り返るきっかけを得た

鉄工所相手に営業やってると、そこも後継者不足に悩んでおられる社長さんがたくさんいました。どんなに小さな鉄工所でも、何百万もする機械がいくつか置いてあったり、場合によっては何千万クラスの機械を置いているところもある。それだけ投資したものを、その社長さんの代で終わらせるのは勿体無いなと見てて思ってたんです。

その時、「あれ、自分はどうなの??」と初めて自分と家族を振り返って見つめることができた。ウチも勿体無いじゃないかと思ったんです。
その頃勤めてた会社もちょうどバブルが弾けたころで、転職するにはいいタイミングでした。
自分が実家を継ぐことで、実家の後継者不足と両親の将来の問題が一気に2つ解決されるわけですからね。

嫁がもらえないという問題は?

それはね、社会経験をしていく中でそういう意識が消えていきました。農家だから嫁がもらえないなんて、そんなことはないなと。
結果的には、その高松の職場で今の嫁と知り合って、2人して結婚退社したんですよ。
もう会社から大反対。非難轟々。(笑)女性の寿退社だけならまだしも、旦那も一緒に辞めるわけですから。

息子には「仕事ナメんなよ!」って言ってます(笑)

そこから養鶏場に入って下積みをしていくわけですね。

下積みというか、父の仕事を見ながら覚えていっただけですけどね。

で、32歳で社長に就任。

そうです。
なんのことはない、その年に利益がすごい出たんです。それで税金たくさん払うよりも親父が退職して退職金を取るという選択になったわけです。

お子さんはいらっしゃるんですか?

いますよ。4人います。
中3の息子は「後継ぐ」って言ってますけど、「仕事ナメんなよ!」って叱ってますよ。(笑)外の世界も見てもらいたいし、というか後を継いでほしいという気持ちもないですから。
「仕事と嫁は自分で見つけろ」という考えです。僕自身、親にそう言われて育ちましたから。

将来についてはどんな風に考えてますか?

あんまり壮大なことは考えてませんけど・・・、どんな状況になっても黒字を出せる会社にしたいなとは思いますね。 養鶏業は2極化されてまして、100万羽単位で飼育している超大手か、ウチみたいに直売をメインとするようなところなんですけど、その中でとにかく生き残って地元のお客さんに「卵だったら熊野」って言ってもらえるようにしたいし、逆に、「お客さんの食の安全はウチが守る」っていうスタンスでやっていきたいですね。

素晴らしい理念ですよね。これからもご活躍を期待しています!

ええ、頑張りますよ!ありがとうございました。

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