
【インタビュー】青野泰介 Vol.01
自身の父親が経営するアオノメガネの跡取りとしてキャリアを形成しながら、行政書士の仕事もこなすという特殊な生き方。その仕事観、二代目経営者としてのやりかた、さらにはプライベートに至るまで、「青野泰介」という一人の男に迫った。
「俺、なんか資格取ってみるわ」
ということで始まった行政書士の道
まずはじめに、これまでの経歴を教えて頂けますでしょうか?
まず最初に就職したのは銀行だね。銀行を2〜3年で辞めて、実家がメガネ店だったのでそこに就職した。で、それから14〜15年経った時に、もう30代も終わりということで試験を受けて、行政書士になって今に至るという感じだね。
なぜ行政書士の資格を取ろうと思ったんですか?
あのね、同級生で毎月飲み会をしてて、一回も休んだことないんやけど、やっぱりそいつらが一流企業のエライさんになっていく姿を見ていくとそっちが羨ましくなるんだよね。僕なんかは自営業で自由はあるんだけど、切磋琢磨して上がっていく様子がね。
それもあって、何か物を売る商売以外の可能性を探っていた。で、39歳のときの飲み会で「俺らの歳でこれからなにかを始められるだろうか」という話になった・・・。
そこには会社員軍団と自営業軍団がいるんだけど、「なにか試してみよう」「俺、なんか資格取ってみるわ」ということで後日、本屋に行き、無料の冊子の一番上にある行政書士の資格を取ることに決め、勉強し始めた。
すごいスピード感ですね。決断力がすごいというか・・・。それで、実際に行政書士の資格を取ったときのみなさんの反応はどうでしたか?
スピードは大事よ。いつだって走りながら考える!これが大事。
資格取ったときはそりゃみんなものすごい喜んでくれたよ。自分らの歳でも何かを始められるということがわかってね、「やる気出たわ」とかね。受かった時には40歳だからねー。
それで行政書士の事業を始められて、すぐに軌道に乗ったんですか?
面白いもんで、その同級生の集まりの自営業軍団から、「じゃあお前、行政書士になったんなら他に回しとる仕事、お前がやれ」って言ってくれて、始めっから仕事には困ってないんだ。やっぱり勉強してる時に「こいつ今、頑張ってるな」っていうのが伝わってたからかな、最初から上手くいったのは。
全部一生懸命やる。
んで、もしかしたらまた新しく何かやり始めるかもしれない。
二足のわらじでのご活躍ということですが、メガネ屋さんが本業といっていいですか?
んー、やり始めて思ったのは、結局どっちも本業なんよ。どっちかをメインにって考えるとどうしても偏りが出てくる。だから、全部一生懸命やる。んで、もしかしたらまた新しく何かやり始めるかもしれない。二足のわらじを履いてもまだ両手が残ってる。 まだまだやりたいことはいっぱいあって、ラジオパーソナリティなんかは昔からやってみたいと思ってるし、DJなんかも面白いかもね。笑
すごいエネルギーですね。メガネ屋さんも全力でってことは、やっぱり儲かっている?
うーん、継続させていけるかどうかが大事で、儲かってるとかはどうかなー。
ただひとつ言えるのは、メガネ業界は衰退期と言われることもあるけど、僕自身はメガネをかける人が減ってるとは思えない。
安売り傾向にあるのは確かなんだけど、そろそろみんな気づかないといけないのは、「安物買っても何回も買い換えてたら一緒でしょ」ってこと。
それと、どんだけオシャレしてても、顔って一番人に見られるところだから、そこに安物持っていくのはもったいないよと。
いいものも着たいし、オシャレだと言われたい。でもやっぱり人に一番見られる顔に良いものを持っていきたい。みんな見るから。そういう考えの人は増えてきているように感じる。
かと言って、業界全部を一括りにはやっぱりできなくて、外食産業でも、吉野家もあれば高級ステーキ店もあるでしょ。それと同じでカテゴライズは意識しないといけない。
やりすぎは良くないけどね。特化しすぎると田舎では商売にならないから。実際良い物も置いてるし、おじいちゃんおばあちゃんにも喜んでもらえるような品も揃えてる。子供用もある。
子供用のものを取り扱っていて、最近感じる変化。
でも、子供用のメガネも変わってきてさ、10年前とかだと、子供のものだけはいいものにしてやろうっていう考えがあった。でも今の親御さんは、子供のものなんだからこの程度でいいよっていう考えなんだよね。そこには戸惑いを感じる。
合理的なんだけどね。どうせ成長して使えなくなるじゃんっていう。。
確かにそうなんだけどね。
なんか知らないけど、ここ数年、日本人のなかで、「安かろう良かろう」っていう意識が芽生えてきた。でもそれは本当はありえないことで、そのあたりは冷静に見る必要があるんじゃないかな。
広告をはじめとした情報操作に、まんまとハマっているような・・・
そうだね。すごい宣伝が上手。大手さんはね。
何十年も前からある素材を「新素材」って言っちゃうからね。ウソにはならないようにね。笑
やはり、安売りのメガネ屋さんとは勝負してるところが違う?
彼らは海外で生産して限界までコストを切り詰めてるから、実際安いんだけど為替に左右されることがある。最低賃金が上がったりとか、そういうのは価格に転嫁するしかない。でもそれは当たり前の話で、消費者がその辺を合理的に理解しておけばいいんだよね。
気軽に立ち寄ってくれるような雰囲気を保ちたい。
メガネ選びにコツとかがあれば教えてください。
遠近両用、中近、など用途による使い分けもあるし。あとはフレーム選びでファッション的な意味合いもあるよね。
ファッションとしてのメガネだとしても、何らかの機能を持たせてあげればいいんだよ。最近だとパソコン用のブルーライトとか、透明のやつあるから。
あと、当たり前の話だけど、最近のメガネにはたいていUVカットが入ってるから、かけてないよりかけてるほうが絶対目にはいい。
なるほど。青野さんはサングラスって結構かけますか?
サングラス大好きよ。いっぱい持ってるんだけどね、最近は遠近両用のをどうしてもかけたいから、ちょっと色を入れた遠近両用を作って、そればっかりかけてるけど。今のやつもちょっと色入ってるしね。
これなんかは目がとても楽なのよ。
最近LEDとか、白ーい蛍光灯とか多いでしょ。昔はもっと黄色かったのにね。あれは、光の中に「青」を少し入れることで白い光にしてる。その「青」が目を疲れさすから、それをカットさせる色をちょっと入れてるのよ。だから外すと眩しい。笑
ファッションとして以外に、そんな機能がメガネにあったんですね。
メガネ屋さんとしては、今後どうしていきたいですか?
これから年配になると、ショッピングモールみたいなのに全く行かなくなる。そういった人が気軽に立ち寄ってくれるような雰囲気は保ちたいね。今は趣味も多様化してるし、近くも遠くも見えなきゃいけないし、そういう意味でも、いろんなメガネを楽しんでもらいたいね。
メガネの数を持ってもらえる店にしたい。「見てたら欲しくなったわー」みたいな。触ってかけてみて、っていうので、ちょくちょく足を運んでもらいたいと思ってる。
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