【インタビュー】鳥生洋文 Vol.02

18歳で上京、若手時代を東京で過ごし、音楽関係の仕事をしながらDJとして名を馳せる。地元新居浜市に帰ってきてからは「串揚げ&グッドミュージック トライアングル」を経営。そのかたわらで各地域のクラブイベントにゲストDJとして参加する。
そして2015年4月、かねてから自身の憧れの舞台であったラジオパーソナリティとして、日曜お昼の新番組「GROOVIN’ SUNDAY」がスタート。まるで呼吸をするかのごとく、平然と新境地を開拓していくこの男が、今回のゲスト。

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インタビュー前編はこちらです。

※このインタビューは4月10日に収録されたものです。

空間を支配していく「王様」になりたかった

鳥生さん自身、好きなことをやっているっていうのは間違いないですよね。ラジオ・DJ・お店の経営の中で、あえて順番を付けるなら何が一番好きですか?

それも難しいねー。んー・・・。
「好き」で言うとクラブDJかな。やっぱりDJブースに立ってフロアの盛り上がりを見るあの絵面っていうのは、DJにしか感じられない快感なんだよね。単にお店の経営やってるだけじゃそういうのはないし、ラジオにしても見えないメディアだからないよね。
ラジオはどちらかというと「憧れ」に近い感じだったね。

だけどね、東京にいた頃から思ってたけど、DJとしてそれ1本で食っていくっていうのは難しい。僕みたいにDJつながりの人脈を活かしてお店を経営するっていうのをDJとしての終着点として考えてる人もいるし、逆に喋りを活かしてDJとラジオパーソナリティの2足のわらじでやってる人もいる。
だからまあ、お店の経営とラジオの仕事っていうのはDJの仕事との親和性が高いんだよね。

DJをはじめたきっかけは「モテたい」とかそういう感じですか?

んー、ネタでそうやって言うこともあるけど。(笑)
DJでもなんでもなかったときからクラブには通ってて、で、そのクラブの空間の王様がDJでしょ。その王様になりたかった。空間を支配していく感じがね。

鳥生さんの性格的に「脇役は嫌だ」という感じ?

あー嫌だね。主役がいい。(笑)
だから逆に感動するのが、テレビで甲子園とか見てて、スタンドで涙流しながら応援してる3年生。17,8歳でああいう行動や態度が自然とできるっていうのは見てて感動する。

野球とかのスポーツになるとどうしても実力の差がはっきりしますよね。彼らも自分から進んでアルプススタンドを選んだわけではなくて、普段の部活動の中でレギュラーになれずにあそこに行きつくんですよね。

そうだよね。だからあの歳で敗北の味を知るっていうのは貴重な体験だと思う。
僕もDJの世界ではたくさん負けてきたよ。努力だけでは埋めることできないものを見せつけられたね。

「後悔しないように」それしか考えてない

鳥生さんのプレイは何度も目の当たりにしてますが、本当に凄いです。その鳥生さんでもやっぱり、上には上がいると。

間違いないね。東京で相方のようにいつも一緒にやってたDJがいたんだけど、ある日、自分がDJやってるよりその人のDJを聞いてた方が楽しいって思ってしまった瞬間があった。それは大きなきっかけになったよ。「あー俺違う」って。(笑)
もうね、なにやってるかわからない。どこの思考回路がつながってそういう発想になるのかがわからない。理解できない。でもお客さんはドカーンって盛り上がってる。「これは勝てない」って。

それは強烈な体験ですね。では、愛媛のクラブと東京のクラブの違いはなにかありますか?

まあ愛媛の場合は当然だけど、僕らがやってるようなジャンルのファンが圧倒的に少ないよね。クラブ好きとか音楽好きとかヒップホップ好きとかいう人がね。それをどうこうしたいっていう想いはないけどね。
あと、意外と東京のクラブでかかってる音楽はどミーハーな曲が多かったりする。でもこっちのクラブは選曲がシビアだったり、すごい気使ってる人が多いけどね。

鳥生さんご自身がステップアップしていく中で、壁を感じたことってありましたか?

んー、ステップアップしたという感覚がまずない。(笑)全部つながっていってるっていうだけだよ。お店に来たラジオのプロデューサーが番組を紹介してくれて、そこで選曲の仕事をやってたらパーソナリティとして使ってもらえるようになったっていう流れだから。

怖くないんですか?そうやって新しい世界に入っていくことって。

怖さはないかな。失うもんがないからね!(笑)ラジオの仕事にしたって、その世界でプロフェッショナルとしてやってるならまだしも、僕みたいに違う畑にいた人間がやるんだから「できなくて当たり前」。だけど自分の中では「もっとあーしたらよかった、こーするべきだった」っていうのを残さないようにしたい。それしか考えてない。

なるほど。とはいえ長くやるようになるとそういうわけにもいかなくなるんですかね?

そうだね。今は不慣れなぶん「初々しさ」みたいなのがあるのかもしれないけど、それも次第に失っていく。そうなったときに、ラジオパーソナリティとしてのちゃんとした実力っていうのがないといけない。その焦りは少なからずあるかな。
ただ、その半面DJとしては愛媛では負けたくない。・・・とか言うと敵を作りそうだけど。(笑)
まあ思ってるだけだから。そういうの必要。(笑)

鳥生さんはずーっと自然体ですよね。緊張とかしないんですか?

そーだね。うん。
緊張っていうのは練習不足から来るって思っててね。ラジオにしてもDJにしても、事前にしっかりシミュレーションをしたうえでやるから。準備不足で緊張しながらやるよりは、準備のために前の日に徹夜してコンディション最悪でやるほうがまだマシだと思うから。
あと、シミュレーションは出来る限り具体的なイメージを持ってやるようにしてる。リスナーを想定してラジオのシミュレーションをやるとしても、そのリスナー像をできるだけ絞り込んでイメージする。お昼ごはんはどれくらいの価格帯のものを食べたかとか、年齢とか。そうしないとシミュレーション自体が始まらないんだよね。(笑)ぼんやりじゃ無理。

DJになって、経営者になって、ラジオパーソナリティになって・・・ここから先4つめの「顔」を持つ可能性っていうのはありますか?

それはないなー。
よく3つの顔を持つって言われるけど、僕の中では2つなんだよね。「お店」「音楽」。その2つのジャンルとか場所を確立して、なんだかんだお金も大事だから、しっかり稼いで将来は別府に住むっていう目標がある。(笑)別府が好きなんだよー。

新居浜という工業都市で育った僕からすると、「温泉街」っていうのが非常に心が落ち着くんだよねなぜか。
だから別府に移り住んで、のんびりお店でもやりながら、大分FMってのがあるのかわからないけど夜のラジオ番組でもやりながらのんびり暮らしたい。(笑)

ライムスターに自ら握手に行って驚かれた。

いいですねー。別府かぁ。。

でしょ?
まあこういうことはね、口に出して言うってのは大事だよね。言葉に出すとなーんか実現していくよね。ラジオのパーソナリティの仕事もやる前からなんとなく口にはしてたし。まあ運の強さもあるけどね。

運の強さが鳥生さんの強みになるんでしょうか?

そうかもしれないね。あとは「物怖じしない」(笑)
東京のレコード会社で働いてたときに、けっこうトントン拍子で責任あるポジションを任されるようになってね、ちょっと上の先輩達よりも速いペースで上がっていった感があったんだよね。それを自分でも不思議に思ってたから、当時の上司に「なんでですか?」って聞いてみた。そしたら「お前は物怖じしないからね」って言われた。
ある日「ライムスター」っていう大物に会う機会があってね、ある新人君は「昔からファンでした」「お会いできて光栄です」っていう態度だった。でも僕は「はじめまして鳥生です。」って近寄ってった。(笑)それを上司がすごい覚えてたね。「お前自ら握手に行ったよね」って。(笑)

それって生まれ持ったものなんですか?

そうかもね。
まあ基本的に「仲良くなりたい」っていうところから入るからね。

物怖じしないっていうのは本当に羨ましいです。では最後に、何かありますか?

うーん、やっぱりラジオのことになるけど、どうやったらみんな聞いてくれるかな?

・・・っていうのを日々考えています。(笑)

ホント面白い番組ですからね。この先のご活躍にも期待しています。今日はありがとうございました!

はーい。

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