【インタビュー】鳥生洋文 Vol.01

18歳で上京、若手時代を東京で過ごし、音楽関係の仕事をしながらDJとして名を馳せる。地元新居浜市に帰ってきてからは「串揚げ&グッドミュージック トライアングル」を経営。そのかたわらで各地域のクラブイベントにゲストDJとして参加する。
そして2015年4月、かねてから自身の憧れの舞台であったラジオパーソナリティとして、日曜お昼の新番組「GROOVIN’ SUNDAY」がスタート。まるで呼吸をするかのごとく、平然と新境地を開拓していくこの男が、今回のゲスト。

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※このインタビューは4月10日に収録されたものです。

ラジオ番組にリクエスト→すぐさまオンエア→「俺、ラジオやりたい!」

初回のラジオ生放送、お疲れ様でした。手応えはどうですか?

手応えアリですね。自分の中では。(笑)初回なんでもっと緊張するかと思ってましたが、相方にも恵まれて・・・。
自分の中で番組の趣旨がはっきりしてたんでね、そこはしっかりいけたかなと。

僕も聞かせてもらいました。あんまり音楽に詳しくはないんですけど、洋楽がすごくわかりやすく聴くことができたんでよかったなと思います。

ありがとう。

鳥生さんの番組を紹介してください。

番組名は「GROOVIN’ SUNDAY(グルーヴィンサンデー)」。毎週日曜お昼12:00〜夕方4:00までの生放送です。南海放送ラジオね。
番組内ではいろんな企画をやってます。

まずはタワーレコードさんの洋楽ヒットチャート。
リスナーさんからシチュエーションを募って、それに選曲で応えていく「ミュージックテンダー」
あとは洋楽の歌詞を紐解いていく「ミュージックディクショナリー」。曲の印象と歌詞の内容が実は違ってたりするのが面白いのよ。
よく耳にするメロディーなんだけど曲名がわからないものを、リスナーさんから鼻唄で送ってもらってその曲名を探してく「ミュージックレスキュー」。

ミュージックレスキューはシュールですよね(笑)

そうでしょ(笑)
それと「チカの教えてあげる」っていう恋愛ネタ中心のやつ。恋愛お悩み相談みたいなやつね。
で、あとはノンストップで僕がDJやる「ウィークエンドジャム」
大きく言うとそれくらいかな。
ちなみに聞いててどの辺が面白かった?

チカさんの「教えてあげる」のコーナーとかが特に面白かったです。なにが押しのコーナーなんですか?

始まる前は、ノンストップで僕がDJする「ウィークエンドジャム」とか、リスナーさんのシチュエーションに応じて僕が選曲してかけてあげる「ミュージックテンダー」とかが軸になると思ってたけど、やってみると意外と恋愛コーナーが盛り上がったね。はがきとか多かった。

そもそもGROOVIN’ SUNDAYってのは一言で言うとどんな番組なんですかね?

そうねー・・・、心がけてるのは「心を動かす音楽番組」。4時間あるんでね、音楽かけるだけじゃなくて、誰にでも身近にある恋愛とかにからめて音楽を紹介するようなほうがいいかなとは思ってる。政治とか経済とか、そういった方面には精通してないんでね。

鳥生さんのラジオとの出会いってなんなんですか?パーソナリティをやろうと思ったけっかけとかあれば教えて下さい。

意識し始めたのは18歳で上京してDJをはじめたころ。クラブ帰りに友達の車の中でラジオを聞いてて、当時インターFMの早朝にやってた堀内尚子さんの番組に自分で曲をリクエストしてみた。TROOP(トゥループ)の「Spread My Wings」っていう曲だったね。
それがすぐオンエアされて、感動した。「こんな嬉しいもんなんだ」って。こりゃやってる方はもっと気持ちいいんだろうなーって思ってね。それがきっかけだったね。

じゃあそこからラジオをやるっていうのが夢になったわけですよね?

まあ夢って言うほどのもんじゃないけど、「ラジオのパーソナリティってかっこいいな」ってぼんやり思い始めた感じ。

生DJだけは全く緊張しない

それが実現してしまったわけですよね。今後なにかもう一つの夢って・・・

んー・・・まあこれ、どこまででかいこと言っていいのかわからないけど(笑)
まあやり始めたからにはこの業界で認められたいっていうのはあるね。まずは今の番組が1日でも長く続くように飽きられないように、どんどん中身を充実させていくってことを考えてるね。

名を馳せるっていうのは「愛媛」で?それとも「全国」で?

そこは正直「愛媛」かな。年齢も年齢だし、愛媛に根を張って商売してるわけだから。

なんかのきっかけでポーンと全国に行っちゃうってこともありえますよね?

いや、まーそうだけど(笑)
けどやっぱ東京に行って、すごい人いっぱい見てきたから。今の自分は音楽に詳しいとかDJができるとかが強みだとは思うけど、その上を行ってる人っていくらでもいるから。喋りができて、DJ上手くて、顔もいいみたいなね。ホントいっぱいいる。

今後ラジオ業界ってどうなると思いますか?

昔はラジオ聞いてないと次の日学校に行けないっていうくらいメディアとしての魅力とか力があった。今はそんなことないよね。勢いがないとは言わないけど、メディアとしての力はそこまで感じない。だけどなくなることはないと思うし、なくしてはいけないと思う。
ラジオならではの魅力っていうのは健在だから、これからもラジオの可能性はあると思うよ。

時代に合わせて変貌を遂げていくような感じですか?

うん、そーだね。まあ具体的にどうなっていくかまではわからないけど、全国的に見てもラジオそのものの盛り上がりっていうのは感じるよ。南海放送でも4月からガラッと編成が変わって、いろんな新しいパーソナリティも出てきてるから、自分も含めて今後を楽しみにしてもらえたらなって思う。

ラジオでしかできない企画っていうのがあるから、若者層がそういうの聞いて僕みたいにラジオのパーソナリティに憧れるっていう子が出てきてくれたらね、また変わってくると思う。

僕もずっとラジオにかじりついて聞いてたわけではないんですけど、日曜日の昼間にずーっと洋楽が流れてくるあの感じが心地良かったです。時折解説も入ってくるし、ただ垂れ流しで聞いてるわけではないんで

うんうん。

生DJって緊張しませんか?

えっとね、この仕事もらったとき、4時間生放送で、ちゃんと喋れるかなとか色々考えて、寝れない日とかもあったけど、唯一全く緊張しなかったのが生DJ。(笑)そこは不安がない。

さすがです。

18年やってるからね。(笑)

スポンサーさんのコーナーもありますよね?

そうそう。
今やってくれてるのは、新居浜のウエディングのプロデュースをやってるラ・プランセスさんと、老舗のお菓子屋の別子飴本舗さん。それと、松山のクラブのブルーベルトンさん。
僕がラジオをやるってなって、すぐにスポンサーとして手を上げてくれたのはありがたかったですね。

あの番組って台本ってあるんですよね?

うん。まあみんな台本に沿ってずーっとやっていってるように思ってるかもしれないけど、開始10分でシナリオが全部崩れるっていうこともある。(笑)やっぱりリスナーさんからのFAXやメールを見て、それに合わせて変えていくからね。
臨機応変にやってるから、そういった臨場感も楽しいもんだよ。

その日の天気で選曲を変えたりもするから、番組が始まる直前まで1曲目に流す曲が決まってないってこともある。
第一回目の放送は、自分の中でテーマソングとなってる曲をかけたかったんだけど、天気が悪かったでしょ。そーなるとちょっと違ってくるなーと思って。かといってマニアックな曲をかけてもリスナーに響かず、チャンネルを変えられる可能性もある。その辺がすごく難しいところだったかな。

臨機応変ですか・・・。じゃあADさんとかけっこう大変なんじゃないですか?

うん、苦労したと思うよ。「スティービーワンダーのアレ」って言っても「なんですかそれ?」っていうところから入るからね。(笑)

休憩ってないですよね?4時間ぶっ通し?

休憩はほぼないね。
まああんま言っちゃダメかもしれないけど、相方がやってる「愛媛新聞ニュース」だけが僕の休憩。(笑)こんなこと言ったら怒られる!!(笑)

番組に送るメールってどんなのが採用されやすいですか?

採用されやすいには、他のリスナーにも共感されるような内容かな。だからあんまり目立とうとするようなはがきは読むのが難しい。タイミングもあるけどね、やっぱり一期一会のメディアだから。

ラジオ番組をやりながら、DJでもあり、経営者でもある。そうやっていくつもの顔を持つに至ったのはどうしてですか?

んー自分の中では全部つながってるんだけどね。
経営者としてちゃんとお店も持ってるから、DJとしても一目置いてもらってるのかもしれないし、ラジオのパーソナリティにしても、どこの馬の骨かわからんっていうよりは、商売やっててDJもできるっていうのが安心感につながってるのかもしれないしね。
どうして?って言われると難しいね。

後編ではちょっとそのあたりを掘り下げていこうと思います。いいですか?

あーうん、頑張る。(笑)

後編に続く

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